『セミリタイア生活』の参考に「ミニマリスト」のあたまの中を見てみたい
どうやら「ミニマリスト」にはなれなさそうです。
このところの「ミニマリスト」本で、部屋の中になにもない写真を眺めるたびにそう感じます。
「会社を辞めずに『セミリタイア生活』」をおくっているので、比較的時間はあるはずです。しかし、家の中にあふれていたものを、なんとかクローゼット、本棚、家具の引き出しに収め目に入らなくなった段階で、ものを減らすモチベーションがつきてしまいました。
最近、考えるのは「ミニマリスト」のあたまの中はどうなっているんだろうということです。
家と同じように、すっきり整頓されて必要な考えだけが残っているのでしょうか。
自分が余計なものを減らしていく段階で「まわりに目に入るものがないと、考えをまとめたりブログを書いたりする集中力が増す」ことがわかりました。
極限までに持ちものを選別することで「自分に本当にやりたいことが見えてくる」のであれば素晴らしいことです。
『セミリタイア生活』では「自分の本当にやりたいこと」だけをコアとして暮らしていきたいと考えていますから。
「会社を辞めずに『セミリタイア生活』」をおくっていると、現在の心配ごとと将来やりたいことが次々にあたまにうかび、どれから手をつけていいか、わからなくなってしまうことがあります。
「ミニマリスト」の部屋に感銘を受けるのは、“なにもない空間”が広がっているからではないでしょうか。同じように、思考回路上に余計な考えがなにひとつなく、本当にやりたいことがひとつふたつ光っていて、あとは適度にボーっとなっているのが「あたまの中が『ミニマリスト』」となっている状態なのかもしれません。
会社の仕事では反射的にものごとを判断しながら、急き立てられるようにあたまを回転させています。
『セミリタイア生活』においては「ひとつひとつのものごとを熟考して、優先順位を判断しつつ、着実にやりたいことを進めていくことで、日々を充実させていく」・・・というより「好きなだけボーっと過ごす」方が楽しいのではないか、と想像します。
リラックスしている状態が続き、ひとつふたつ光っていたアイディアがまとまっていき、行動のイメージがかたまり、自然にからだが動き出す。
それが自分が考える『セミリタイア生活』における「ミニマリスト」のあたまの中の理想形なのです。
クリックしていただけると励みになります♪