【芥川賞受賞】コンビニ人間と会社人間(ネタバレ)
第155回 芥川賞受賞作です。
36歳未婚女性、古倉恵子。
大学卒業後も就職せず、コンビニのバイトは18年目。
これまで彼氏なし。
オープン当初からスマイルマート日色駅前店で働き続け、
変わりゆくメンバーを見送りながら、店長は8人目だ。
日々食べるのはコンビニ食、夢の中でもコンビニのレジを打ち、
清潔なコンビニの風景と「いらっしゃいませ!」の掛け声が、
毎日の安らかな眠りをもたらしてくれる。
仕事も家庭もある同窓生たちからどんなに不思議がられても、
完璧なマニュアルの存在するコンビニこそが、
私を世界の正常な「部品」にしてくれる――。(amazon 紹介文より引用)
この本を読んで感じたのは2点。
芥川賞の選出者たちは、論評の言葉には出さないにしろ、こう考えていたのかもしれません。
「コンビニでこれだけ一生懸命働いている人間もいるのだ。『コンビニ人間』というタイトルにあるように職場と同化するぐらい、ブラック企業だのなんだのぐずぐず言わず、いまの若者も働け」
あまり愉快な考え方ではありません。
しかし、それ以上に驚愕したのが主人公が自分が『コンビニ人間』であることを受け入れているばかりか、終盤にこのような言葉を発したことです。
「身体の中にコンビニの『声』が流れてきて、止まらないんです。私はこの声を聴くために生まれてきたんです」
「気が付いたんです。私は人間である以上にコンビニ店員なんです。人間としていびつでも、たとえ食べて行けなくてのたれ死んでも、そのことから逃れられないんです。」
(本文 p.149より)
自分はあとわずかで「会社人間」をやめようとしています。
この本の主人公はコンビニで働いて18年目ですが、自分はそれより約10年も長く、会社で働いてきました。
もし会社を辞めてしばらく経ったある日、「身体の中に今まで働いていた職場の『音』が流れてきて、止まらなく」なったら。
あるいは「自分は人間である以上に○○社社員なんだ。たとえセミリタイアしても、そのことから逃れられない」と確信し、逃れたことに大きな後悔と自責の念がうまれてしまったら。
自分にとっては決して荒唐無稽ではなく、わりとリアルな恐怖なのです。
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