究極の『ミニマリスト』は死の床にいる
畳の部屋に、敷き布団1枚に掛け布団1枚。
枕元には水差しひとつ。
一人だけに見守られながら、ひっそりと死んでいく。
なにも持たず。
大切な人が一人。
そして、楽しかったたくさんの思い出。
ミニマリストの究極の姿は、明日死ぬその人ではないでしょうか。
これが80歳のときの理想の自分の姿だとすれば、その約30年前に生きるアラフィフの自分はどのような『セミリタイア生活』の一歩を踏み出せばいいのでしょうか。
「会社を辞めない『セミリタイア生活』」を始めた現時点では、身のまわりにはものがあふれ、毎日通わなければならない会社という場所もあります。まだまだ「仕事の充実感が自分の価値」だと思いこんでいる自分がいます。
身のまわりにあふれているものや価値観。これらを、80歳までのどの段階で捨てるのでしょうか。
『セミリタイア生活』を始めた今すぐでしょうか。
それとも数年後に会社を辞めた瞬間?
もしくは人生が終わる間際に、会社の仕事やそれまで持ち続けていたものを忘れ去るまで持ち続けるのでしょうか。
単なる“もの”と仕事に対する価値観のどちらが捨てにくいか、というと後者の方が難しいと考えます。それはサラリーマン生活のつらさ、理不尽さに耐えるために、会社生活こそが自分の生きる道だと自分に思いこませる行為を、20数年間続けてきているからです。
“もの”と価値観、手放す基準と時期は、いつ、どのように決めればいいのか。自分以外の誰にもわかりません。今の自分にもわかりません。将来、自分が納得した時期に手放すしかありません。直感的にはそれが早い方が、充実した人生を送れるように思います。さいごにはあの畳の部屋に、なにも持たずにたどり着くのですから。
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